2014年にふさわしい形で、形而上学してみたいと思います。
神と悪魔、特にサタンについて、定義してみたいと思います。
アクマに関しては、「空想上のもので、人間の恐怖が創りだしたもの」という
説明で、ある一面については、現在でも万全だと思います。
一方、形而上学的に、無視できないサタンもいます。
20世紀以降の形而上学で扱われる基本に沿って、
サタン/アクマについて、簡単にまとめてみたいと思います。
***
キリスト教や仏教の禅宗、
20世紀以降のニューエイジや、スピリチュアリズム、
さらに神智学会にいたシュタイナーのルシファー論(←10年位前に読んでいます)
などもふまえて、書いてみたいと思います。
***
現在多くの人が考えるところによりますと、
最初に「ワンネス」とも呼ばれる神だけが存在していました。
生命と愛と創造力の本源、
あるいはすべての本源、
あるいは究極の善良さという概念に、
神という名前が与えられています。
神は分離を創りだし、次元の下がった部分を創りだすことで
「経験」を得ようとしました。
経験のために次元を下げに下げた魂が・・たとえば、私たち人間になったりする。
その際、次元を下げるための装置、あるいは次元を下げるための要素として、
サタンと呼ばれるルシフェルを創りだしました。
ですから・・・もともとサタンには、「次元を下げる」という目的があり、
善でも悪でもない中立のものなのです。
***
ここで簡単にまとめます。
「サタンとは、次元を下げるための装置」Ⓒカヲル32
***
さて。ここからは、形而上学ではなく、日常の話になります。
ここしばらく、
「カヲルさん、サタンと仲良くしてください」
「サタンは弱いものです」
「私はサタンを改心させることにしました。カヲルさんも協力してください。」
などなど・・・。
サタンと仲良くせよと、何人ものヒトに言われました。
しかしですね。
やはり・・私の考えによると
「サタンは、次元を下げる装置」Ⓒカヲル32です。
サタンと仲良くせよというのは、「次元を下げろ」と言われているのと、同じです。
次元を下げろなんて・・言われても困ります。
どんな次元にいたいかは、自分で決めればいいことではないですか。
***
次元を下げることがいけないことだとは、言いません。
私たちが人間をやっているのは、
人間次元まで下がって、いろいろ経験するためでしょう。
逆に言うと私は「すべての人」に
もっと高次元の「別の自分」があると思っています。
いわゆる「ハイアー・セルフ」ですね。
とにかく私は・・どの次元にいるかは、自分で選びたいのです。
だから・・「サタンと仲良くせよ」と言われても、困ります。
***
「カヲルさん、サタンを改心させる活動を、いっしょにやろう」とお誘いも受けましたが、
「サタンとは次元を下げる装置」Ⓒカヲル32なので、
サタンが改心することはないし、その必要もないと思います。
サタンは、いわば、道具ですから。
***
「サタンを改心させるために、サタンと心底合一するのだ」という意見を
聞きましたが、
サタンと合一するとは「他人もしくは自分の次元を下げる装置になる」ことを
意味しているとしか・・私には聞こえないのです。
サタンと合一するとしたら、「うそ、いつわりの存在」になることも避けられないでしょう。
サタンと心底合一しようという方々とのつきあいは、お断りしようと思っています。
***
自分の望む程度よりも次元が下がっては、困るからです。
***
ちなみにサタンは、
わたしたちの次元では、
「うそ」と「いつわり」の世界を創りだし、
さらに、人々の愛と生命を奪う・・という形で働いています。
人間には愛と恐怖の感情しかないとも言われますが
恐怖のほうを刺激することが、サタンの仕事です。
サタンは必ずしも強く大きく見せるとは限らず、
被害者もしくは教組を装って、同情を引き、誰かを殺させる・・ようなことも
やりますね。
最終的に、命が奪われていたら、サタンが働いたと考えても
かまわないわけです。
つまり・・サタンは、「次元を下げ、愛と命を奪う」という運動を淡々と行う
道具ですが、様々な経験をするためには、そんな道具も必要ということです。
サタンは、とにかく、人を乗せるのがうまいわけです。
そもそも・・三次元の世界をホンモノだと思っているのは、どこかおかしいのだと
思います。
何か理由があって、何か装置があって、わたしたちは、本当は三次元では
ないこの世界を、三次元の世界だと思って暮らしています。
三次元世界(色)を空だと言ったのは、お釈迦様でしたっけ。
イエス・キリストも、三次元世界を無視するかのような
発言を繰り返しました。
どうも・・次元があがって、目覚めた人にとって、この世は三次元ではなくなるらしいですね。