最近悪魔教の話を書いてしまったので、
話の流れから、次は、
イーグルスの、ホテル・カリフォルニアの話をしたいと思います。
このアルバムの裏ジャケットに、20世紀の悪魔教二大教組のうちの
ひとりの、実写・写真が使われていることを知っていますか。
この記事では、ホテル・カリフォルニアと、悪魔教の関係について
歌詞を分析してみたいと思います。
そして、なんと。
身近なブログ友だちで、このブログによく来て下さる
ajaさんは、
イーグルスのバックステージパスを使って
イーグルスのメンバーに会いに行き、
流ちょうな英語で(多分)
ドン・ヘンリーに直接、
「1969年から、スピリットは切らしております」の意味を聞いたというから、
すごいな~、ロックファンとして、羨ましいな・・。と思うのです。
ajaさんに、その時の話を聞いてみたいと、思っています。
3月の終わりまでに、イーグルスと悪魔教の話をつなげようと、
2月から、待っていたのでした。
やっとつながりましたね。
ajaさんは、ドン・ヘンリーに、なんと聞いたのかな?
わたしが「1969年以降はスピリットは切らしております」という歌詞に
感じている意味は下のほうに書いてあります。
***
ホテル・カリフォルニアは歌詞でありますし、名曲でありますから、何重もの解釈が可能でありますが、わたしが話したいのは、
「ホテル・カリフォルニアは、一曲まるまる、悪魔教の儀式の歌と受け取れますが、
そのことがうまく隠されている。」ということです。
わたしにはこの歌詞は、一曲まるまる、パーフェクトに矛盾なく
悪魔教の儀式のことを歌っていると思えるのですが
もちろん「それは偏見だ」という意見もありだと思います。
芸術作品としての歌詞である以上、さまざまな意味にとれるように
技巧をこらしてあると思いますが、
どっちみち、「悪魔教の会合についての歌」と100%とることも可能であるように
仕上がっている歌です。
うまく解説できるかわかりませんが、これから解説してみたいと思います。
以下、ホテル・カリフォルニアで悪魔的に聞こえるところをざっと挙げていくと・・
一曲まるまる、悪魔教の歌と言っていいです。
儀式の建物に入る、もしくは入会するところから始まって
悪魔教の乱交の儀式、生贄に複数で無情にナイフを入れる儀式、
さらに 生贄の肉を参加者全員が食べる決まり、
自殺は許されるが、脱退は許されないことが、
すべて、一曲の中に含まれています。
そう考えても、文学的に問題なく、詳細な意味の裏付けが可能なのです。
以下、とりあえず、歌詞を少しずつ訳しながら悪魔教と聞こえる理由を説明していきます。
原詩がないとわかりにくいかな?
(もしもわかりにくかったら、後で載せるかもしれませんが、とりあえず、
ホテル・カリフォルニアの歌詞を思い出しながら読んでください。)
最初のほうの悪魔教話が「こじつけ」だと思われた方は、
「ワイン」のくだりのところまで、先に飛んでください。
そこからおしまいまで検討して、
それから最初に戻ると、すべて悪魔教の歌と見なして差支えない
ということがわかるのではないかと思います。
「暗い砂漠のハイウエイ」
「クールな(冷たい)風が髪に」
風は、スピリチュアルな意味につかわれる。
その風が冷たいという。
悪魔の近づくとき、冷たい風が吹くのは、まことにふさわしいことと、
言わねばなりません。
「コリタスの温かい匂いが」
コリタス隠語でマリファナのこと。
「空気を抜けてrising upしてくる」
risingは、悪魔教ではよく使う言葉。他の動名詞でも意味が通るはずなのに
risingを使っています。
「チラチラと、光が見える。
頭が重く、視力がかすんできた
(ここで)一晩過ごさなくてはならない」
実はlightという言葉も、悪魔教でよく使われる言葉
なぜ、「過ごさなくてはならない」と義務的なのでしょうか。
「彼女が入口に立っている」
彼女とは、誰?
「礼拝ミサの鐘を聴いて」
実は・・後述するように、イーグルスと親交があり
ホテル・カリフォルニアのジャケットにも載っているアントン・ラヴェイは
悪魔礼拝をおこなっていました。イーグルスも教会に加入していたと言われます。
「自分自身のことを考えた。
これは天国でもありえるし、地獄でもありえる」これは、モロな感じですね。
ちなみに・・ホンモノの悪魔教は、空疎な、天国ぽい外見をもっています。
悪魔教に入会すると、フリーメイソンらの援助により、この世の成功が与えられるので、そういう意味でも、天国であるのです。
「すると彼女はロウソクを灯し、」ロウソクは当然、宗教や秘教の重要な小道具ですね。
そもそも20世紀の人が、こんな時、ロウソクをともすでしょうか。
ロウソクと出てくるだけで、宗教の暗示になります。
魔術にも、ロウソクはよく使われます。
「彼女は通路/あるいは方法(the way)を示した」
そもそも・・彼女って誰?
ホテルの人だとしたら、役職で呼べばいいはず。
the wayは、通路でもありますが、【やり方/仕方/方法】でもありますね。
「廊下を下っていくと声がしたのだ。」
廊下corridorのチョット古めかしい響きが、
いにしえより存在している悪魔にふさわしい、雰囲気を出しています。
「(こんな風に)彼らは言っているように聞いたと僕は思った」
I thought I heard them say.
thoughtは「そう思った」であり、ここで一段階、聞いたことが曖昧になります。
「聞いたと思った」とはなんでしょう。
この世の音でないものを聞いた、幻聴かもしれませんね。
つまり、その後のサビの「聞こえたもの」は現実ではないかもしれません。
霊力により、幻なのに、体験したのかもしれません。
悪霊がきかせた幻聴なのかもしれません。
「ようこそ、ホテルカリフォルニアへ」
「なんて素敵なところ、なんて素敵なところ」
「なんて素敵な顔」
同じ言葉を繰り返すことで、幻聴感を出していると思います。
「plenty of room at the Hotel California」
この「プレンティ」が曲者だと思います。
たっぷり、お部屋はございます。
必要なニーズより、常にほんのちょっぴり多くroomがあるイメージ。
つまり・・魂がいくつあっても、十分に間に合うだけの
空間/容器/部屋(room)があるということ。
ただ「多い」のなら、manyと言えばいいはず。
pleytyだと、「必要より、ちょっと多め」という
ニュアンスに聞こえるわけですね。曲者の表現。限界なくある感じ。
必要になると、roomが増える感じ。
ホテルの部屋のことではない、何かを暗喩する感じ。
だってホテルの部屋数だったら、限界があるはずですから。
この曲が悪魔教についての歌だとすると、
ホテル・カリフォルニアとは、悪魔教の宴会のことでもありますが、
悪魔教そのものの比喩であるとも考えられます。
だから、ホテルの部屋はいつも「必要なだけよりちょっぴり多め」にあるわけです。
その次は訳が造語とダジャレなので訳が難しいですが
「彼女のmindはティファニーに、ねじくれ」
twistedは、「ねじれた」ですが「よこしま」という意味もあり。
「メルセデス・ベンドしちゃう」ダジャレですが、メルセデス・ベンツのほうに
ねじくれているようです。
悪魔は物欲の象徴でもあります。
次は、いろんな意見があると思いますが
ここまで悪魔的な羅列の後に
「She got a lot of pretty, pretty boys
she call friends.」
と来たら、彼女が美しい美しい、たくさんのボーイズと、
次々に性的関係を結び
彼らをフレンズと呼んでいる・・と取ってもいいと思います。
悪魔教儀式に、乱交はつきものですからね。
ひとつのイメージとしては、スタンリー・キューブリックの映画
アイズ・ワイド・シャットの世界でしょうか。
彼女が男性の友だちを沢山得たのであったら、
She got friends.とかThey were friends.とか言えばいいはずです。
callになっているところが曲者。
フレンズと呼んでいるだけなのです。
普通に見たら、常識的なフレンズとは違うのではないでしょうか。
そう考えると次の四行も怪しくなっちゃいます。
「彼らが中庭でどんなダンスを踊っているか」
「Sweet summer sweat」
Sが三連になって、からみつくスウェット感が強調されています。
「ある人々は思い出すために踊り」
「別の人々は忘れるために踊る」
中庭という意味のcourtyardは、大邸宅の中庭、城の中庭を思わせる
言葉です。古めかしい格式が、いにしえの存在である
悪魔にピッタリの雰囲気です。
そして、中庭は、部外者からは見られない空間ということですね。
Sweet summer sweatに込めたかった雰囲気は、何でしょうか?
悪魔教の乱交は、できるだけ野外ぽいところでやると
実際に悪魔教の儀式に参加した日本の占い師
ルネ・ヴァンダール・ワタナベの文章で、読んだことがあります。
日本では、占い師は悪魔と関係ないのですが、
西洋では伝統的に、キリスト教以外の霊能は悪魔とされてきたので、
占い師が悪魔教徒を兼ねていることも多いのです。
タロットの大先生扱いされているアレスター・クロウリーなども代表だし、
クロウリーの団体にいたダイアン・フォーチュンもそうでしょうね。
真面目で堅実な日本の占い師、ワタナベは、目の前で繰り広げられる
光景に、信じられないと唖然としながらも、その儀式のことを文章で書いて発表しました。
わたしはどこで読んだのだろう、読んだことは覚えています。
魔術の本じゃないのです。もっとふつうの本で読んだと覚えています。
美容院で読んだ雑誌だったかな。
ワタナベによると
全裸の女性が横になって祭壇となり、まず最初に女性の三か所に参加者全員で
口づけして、それからメチャクチャに乱交・・
と、ポルノ顔負けの随分とエッチなことが、見聞録として書いてありました。
あれを読んだのは、いつだっただろう。
都会の中では、邸宅の中庭がぴったりなのではないでしょうか。
この四行のダンスシーンは、普通に【汗をかきながら、ネットリしたリズムで踊っている】と、とってもいいと思うのですが(私たちのほとんどは、そう思っていたと思います)、
もし本当にこの曲が悪魔教を想定して書かれたとすれば、
このダンスは、性交/乱交と取ったほうが、意味はとおりますね。
彼女が美しい、美しいボーイズを沢山ゲットし、ただ友だちと呼んでいるという前置きが、乱交っぽさを強めていると思います。
ルネ・ヴァンダール・ワタナベが書いたような
全裸で祭壇になっている女性が、
美しい、美しい、boysをたくさんゲットした彼女なのではないでしょうか。
ひょっとして、それは、最初に、灯りをつけて道を示した女性と
同一人物?かもしれません。
この四行だけで普通にとれば、そこまで考えるのはエグいのですが、
この曲は、意味がよく隠された悪魔教の歌だと、私は思っているので
だとすると、そこまで考えたほうが、意味が通るのです。
さて。次がキモですね。
「そして私は給仕長(Captain)を呼んだ」
「私に、私のワインを運んでくれと」
wineでいいはずなのに、my wineになっています。
なぜ、wineではなく、my wineになっているか。
自分の特別な割り当て分を要求しているということですよね。
ただのワインではないのです。
このwineは、イエス・キリストのミサで供される
ミサの赤ワインのことだと思います。
だからこそ、割り当てがあるワインなのです。
キリストの血として信者たちが飲み、キリスト教徒としての証しを立て、
キリスト教徒の市民であることを証してきた、飲み物。
飲むことによって、罪が贖われ、罪が消し去られると信じられている飲み物。
イエス・キリストの血によって、罪を消すワインのことでしょう。
しかし給仕長は
「彼は言った、私どもでは、1969年から、そのスピリットはおいておりません。」
悪魔教解釈のホテル・カリフォルニアでは
そのスピリットとは、その精神、キリスト教精神のことと思われます。
ワインがないならワインがないと言えばいいのに、
そのスピリットと言わせて、別の意味を含めるところがミソ。
さらに、ワインは醸造酒であり、蒸留酒ではないわけですよ!!!!!
スピリットというのは、蒸留酒のことなのに、
わざと間違えて、本当に言いたいことを伝えているわけです。
英語では、本来は
ワインみたいな醸造酒は、alcoholであって、spiritではないわけですね。
だけど、ここをspiritにしないと、この歌詞のキモが完成しないわけですね。
なぜ、1969年なのか。
、
イーグルスが加入していた悪魔崇拝団体がアントン・ラヴェイの教会に属していたとNEWS WEEK誌に書かれていたそうですが、
アントン・ラヴェイの教会で、悪魔教の聖書が出版されたのが
1969年であり、
様々な意味で、キリスト教会よりも悪魔教会がロスアンゼルスで主流/優勢に
なった年だからです。
1969年にL.A.でキリスト教会に対し悪魔教会が勝利したというのは、アメリカのサブカルに詳しい人なら、なんとなくピンとくるはずです。
1969年の少し前、L.A.を本拠地にしていた
ドアーズのジム・モリソンは
黒魔術に凝っていた女性と、悪魔儀式の結婚式をあげました。
お互いの指をナイフで切って、お互いの血を杯にいれて飲んだそうです。
イギリスにも悪魔崇拝の黒ミサをロックンロールのライヴ中にやることを売り物にしていたコーヴェンというバンドもあったそうです。
そもそも、ローリング・ストーンズは、この年あたりに、
シンパシー・フォー・ザ・デビルを発表しましたよね。
悪魔を憐れむ歌というよりは悪魔に共感する歌。
ミック・ジャガーは身体に悪魔をペイントしたり、していたそうですね。
ストーンズはこの後しばらく・・山羊の頭のスープくらいまで、
黒魔術のイメージを使いますね。
山羊というのは、欧米ではサタンとかデビルの化身扱いされていて、
悪魔教のシンボルなどに使われています。
その前にサタニック・マジェスティーズというアルバムもあったっけ。
1969年は、L.A.にいて、悪魔教の近くにいた人なら、特別な年だったはずです。
ハッキリとした変わり目だったはずです。
それと・・ある種の数秘術では、
6と9という数字は、どちらかというと、サタンぽくも、とれる数字なのですね。
1や3や7に神様イメージがついてまわるのとは、対照的です。
「そして、まだ、それらの声たちが、遠くから呼び」
はたして、その声は、この世から聞こえてくるのでしょうか。
「あなたの眼を真夜中に覚まさせる、彼らの言う事を聞かせるために」
真夜中にあなたを起こす声って・・普通に考えたら、変すぎですよね。
「ホテル・カリフォルニアにようこそ。
なんて美しいところだ
(なんて美しいところだ)
なんて美しい顔だ」
placeとfaceが対等な扱い。
その顔は、純粋な人間の顔でしょうか。
「彼らは、ホテル・カリフォルニアに住みついているのさ」
ええと・・悪霊か、幽霊でしょうか?
「なんてステキな驚き
(なんてステキなオドロキ)
アリバイをもってこい。」
アリバイとは、現場不在証明。
罪なき場所にきているとしたら、アリバイは必要でしょうか。
「天井の鏡たち(Mirrors)」
鏡は、古来から宗教と秘教の小道具ですね
グノーシスでは、思想の中心に鏡が多用されています。
ちなみに・・グノーシスと悪魔教を結びつけようとする人が
多かった20世紀ですが、
どうも、グノーシスが悪魔教であるというのは、少し違うようです。
「氷の上には、ピンクのシャンペン」ピンクのシャンペンとは、
いかにも、悪魔の街、L.A.ハリウッドにふさわしいではありませんか。
「彼女は言った
『私たちは皆、ここではただの囚人なの。
私たち自身の、たくらみに属する(囚人)」
囚人と呼べるくらい、立場が縛られていて、外部に出られないということですよね。
立場が縛られている、悪魔教にふさわしいのです。
しかも、もともとは、自分たちの計画/仕掛け(device)で囚人になったという。
次も問題ですよ。乱交は済んで、いよいよ生贄(いけにえ)のお時間です。
「master’s chambersのなかで」
このmaster’s chamberは、生贄の儀式に使われる装置のことと思われます。
聞いた話では、悪魔教が使う用語であるとか。
「彼らは祝宴/祝祭(feast)のために集まった」
このfeastは、宗教的な祝祭や祝日のことでもあります。
宗教的意味が薄い宴会バンケットbanquetという言葉とは違うわけですね。
feastという言葉だけで、祝祭/祝日の意味が出てきます。
英語も、音そのものに意味があるのですが、「おびえ」を表す
fearなどに近い音ですね。
語源的には・・わかりませんが、もともと西洋では、祝祭のとき
生贄をほふる習慣があったと思います。
feastという言葉の響きに「おびえた生贄をほふる」と言う意味・・。
ネイティヴは感じないのかな?
英語がネイティヴではない私には、わかりません・・・。
次はモロの場面
「彼らは、steelyな(心が動かない無情な)(複数の)ナイフで、それを突き刺す」
steelyは、【鋼鉄のような】ですが
steelyだけで【人の心が動じない、無情な】という意味があり、
こちらの意味を狙っていると思います。
無情に突き刺さないと、悪魔教の儀式にはならないでしょうね。
それにしても・・悪魔崇拝団体に入っていたとNEWS WEEKにも書かれている
イーグルス。
彼らの黒ミサで、生贄になったものはなんだったのか、考えるとチョット怖いです。
黒ミサの生贄の最高峰は、人間の赤ん坊。
(わたしはこのあたりは、小学生の時、少年マガジンで勉強しました(笑))
アメリカでは、年間、数千人?それ以上?かなりの人間の赤ん坊が
いなくなっていると伝えられています。
イーグルスの団体は、そんな目立つことはやらなかったかもしれませんが・・。
なんらかの生贄を行っていたのは、間違いなさそうです。
次の歌詞。
「(無情な複数のナイフで彼らは突き刺すが)
しかし彼らは、あの獣(the beast)を殺すことだけはできない」
あの獣というのは、悪魔のことです。
the beastが悪魔を指すというのは、常識レベルですね。
ヨハネの黙示録で、悪魔のことをthe beastと呼んでいますから。
666はbeastの数字とも書いてある文書ですよね。
theがついているのもミソ。
「あの獣」であって「他と交換がきく獣の1つ」ではないわけです。
アノ獣でしかない。悪魔です。
次に行きます。最後のところです。
「僕が覚えている最後のこと」
「ドアに向かって走ったのさ」
「前にいた場所に還る通路を見つけなきゃならない」
「リラックス!、ナイト・マン(night man)は言った」
Relax!というのは、全アメリカ男の口癖で、モットーで、美学みたいなものですね。
アメリカ男性は、ことさら、リラックスを装います。
それが一番の美学で、アメリカ式美徳でもあるから。
日本で、緊張が美徳の象徴であるのと、対照的ですね。
ナイトマンって何??多分、黒ミサから脱走しないように、見張っている男のことです。
ここから後も、けっこう怖ろしいですよ。
「(ナイト・マンは言った)我々は、レシーヴ(receive)するようにプログラムされている」
プログラムされている・・方向づけられているとは、まるで機械か何かであるように
方向づけられているのでしょうか。
レシーヴとは、なんなのでしょう。
他動詞ではなく、自動詞と見ることができるので
キリスト教用語の「聖餐(せいさん)を受ける」でいいのかなと思います。
つまり「ナイト・マンは言った、我々は、聖餐を受けるように定められている」です。
つまり・・黒ミサで、まず乱交があり、
生贄にみんなで無情なナイフを入れた後、
生贄を食べなくてはいけないわけ。
正式な黒ミサでは、人間を生贄にして、肉を食べると言われます。
代表的なものは、人間の赤ん坊です。
それがイヤで、ドアに走っていったら、ナイトマンに引き戻されたわけです。
「イケニエを食べるのが決まりです」と。
完全な共犯関係のためには、それは超えなくてはならないもの。
キリスト教の聖餐においても、聖餐にあずかることで
共同体のメンバーと認められるそうですが、
悪魔教の聖餐も同じなのですね。
イーグルスが参加した黒ミサでは、どの程度の儀式が行われたか知りませんが、
アメリカで年間数千人以上、いなくなる赤ん坊含む小さな子供たちは、
生贄になっているという説があります。
その後がまた、恐ろしい歌詞です。
「あなたはいつでもチェックアウトできますが、
永遠に、ここを去ることはできません。」
これは普通にちょっと見ると矛盾してると思うでしょう?
しかし、チェックアウトの隠語がわかれば、簡単に謎が解けます。
この歌の最後の行まで来て、ホテル・カリフォルニアそのものが
悪魔教を指していることは確定的?だと思います。
永遠に去ることができないホテル・・・
悪魔教の暗喩がホテルであるからこそ、そんな変なホテルということになります。
さらに、チェックアウトとは、隠語で、自殺のこと。
「いつでも自殺していいが、悪魔教を脱退することはできない」という意味なのです。
きゃ~~、なんておそろしい!!!
イーグルスは、悪魔と取り引きしてヒットを飛ばしたとも言われています。
アメリカのアルバム売上歴代一位は、イーグルスのベスト盤なんですよね。
マイケル・ジャクソンのスリラーに勝っているそうです・・。
リンダ・ロンシュタットのバックバンドから這い上がり
悪魔教にまで入って、こんなに苦労して、大ヒットを飛ばしたんでしょうか、
イーグルス・・。
デスペラードの悲しい運命だったのでしょうか・・・。
***アントン・ラヴェイについて。
ホテル・カリフォルニアの裏ジャケットに写っているアントン・ラヴェイについて書きます。
ホテル・カリフォルニアが悪魔教と関係あると言われているのは、
アントン・ラヴェイと非常に関係あります。
ホテル・カリフォルニアの裏ジャケットに映っている剃髪した人物は、
アントン・ラヴェイ本人。
このことが、「ホテル・カリフォルニア」の謎を解く鍵の一つだと思います。
アントン・ラヴェイは、20世紀の悪魔教の二大教組のうちの一人です。
二大教組の一人目は、レッドツェッペリンのジミー・ペイジがマニアックに愛していた
アレスター・クロウリー。
アレスター・クロウリーは、この前の記事で書いたオウムに影響を与えた
神智学会の出身です。神智学会を飛び出して、ゴールデン・ドーンという、
悪魔教を堂々と標榜する団体をつくりました。
堂々と悪魔教を標榜していなくても、
神智学会のブラヴァツキー、パウエル、アリス・ベイリー、ベンジャミン・クレームなどはサタニストと見なされているので
堂々としているかどうかの差なのですが・・・。
「神秘のカパラ」などを書いたダイアン・フォーチュンも、ゴールデン・ドーンの出身です。
アントン・ラヴェイは、昭和7年生まれ。太陽族世代ですね。
反抗的な世代。もともとは、職業魔術師です。
高校生のときにサーカス団に入り、猛獣の調教師になりました。
18歳にはカーニバル業界に入って、読心術を学びました。
蒸気オルガン弾き、占い師、殺人現場専門の警察カメラマンなど経ながら、
20世紀の悪魔崇拝の大家になっていきました。
アントン・ラヴェイは幽霊を研究したとき、「幽霊のニセモノ」に出会ったため、
霊現象はあまり信じていなかったと言われています。
唯物論者に近いところがあったのかもしれません。
それで悪魔を恐れなかったのかもしれません。
悪魔教の教会をつくる前、慈善事業に熱中したこともあったと言われています。
彼は、エンターテイナーとして、ゴースト・バスターや、悪魔ばらいを
行いました。
どうも・・人をだますのが好きなエンターテイナーというところがあったようですが、
それでも、神智学会出身の悪魔教組アレスター・クロウリーに共感を示し、
クロウリーにならって儀式を行ったと言われています。
ロスアンゼルスを本拠地にし
1966年に、剃髪し、悪魔教に出家??この年をサタン元年としました。
「サタン教会」を創立し、「黒い法王」を名乗り、思想の布教を始めました。
1967年には、悪魔崇拝風の結婚式を行い、
愛娘には悪魔崇拝式の洗礼式をして公開。
多くの芸能人が面白がって彼の教会に入信したそうですが、
アントン・ラヴェイは聖飢魔Ⅱのようなエンターテイメントとしての
悪魔教の外観も持ちつつ、
ホンモノぽい悪魔教の儀式も行いました。
現実にハリウッドの有名女優の肉体が交通事故で真っ二つになった時、
自分の黒魔術の効果だと、うそぶいたアントン・ラヴェイですが、
こんなホンモノの悪魔みたいな言いぐさは、
聖飢魔Ⅱの閣下は、絶対にやりませんよね。
閣下は、人がよさそうです。
アメリカだからあり得るのだと思います。
マスコミの寵児でもありました。
エンターテイメントの表向きを持ちつつ、
一方で、生贄の儀式など行いました。
彼の教会に入信したら、退会は許されないとも言われています。
イーグルスの歌詞、そのままだったわけです。