竹さんのところで、竹内文書についての記事を読みました。
竹内文書というと、竹内家の養子であったといわれる竹内巨磨が
世に出したものが有名ですが、
あれは本物の竹内文書(正統・竹内文書)の一部抜粋のようなもので、
実は、世の中に出たことがない「正統竹内文書」というものが存在するらしいです。
ウィキペディアなどには竹内文書は「一般には偽書と信じられている」みたいなことが書いてありましたが、
世の中に出たことがない・・誰も全体像を観たことがないものでも、偽書かどうか論じられるんですね。
そもそも偽書って何?古事記と日本書紀は偽書ではないの?
あらゆる情報は、「誰がソースか」で情報の信ぴょう性が測定されますが、
「誰」を信じるか、「何」を基本として信じるかは、御自由ということでしょうね。
わたしの感覚としては・・・正統・竹内文書は、まずは
「本当に存在しているのか、存在しているとしたら、どんな内容なのか」ということだと思います。
それと・・・竹内巨磨が出した竹内文書というのは、当時、竹内家にあった
「メモ」(覚え書き)が流出したのではないかと思っています。
この記事で後ほど引用しますが、
竹内家の家長は、1500年以上の間、口伝してきて、
一子相伝で古代史の暗記をしなくてはならないそうなのですが、
現実には暗記しきれなくて、メモを書くらしいのですね。
そういうメモが流出したのではないかと思っています。
わたしは「正統竹内文書の日本史 「超」アンダーグラウンド」
というシリーズの本を、一巻から、三巻まで、
合計三冊持っています。昨年末に買ったものです。
竹内家当主、竹内睦泰氏、
超常に詳しい秋山真人氏、
超常研究家の布施泰和氏の三者の共著になっています。
どうしてだか・・私の本棚には本日、一巻が見当たりませんが(笑)、おそらく明日にでも、どこかから出てくるでしょう。
手元にある分だけで、「正統竹内文書とはどんなものか」書いてみます。
ウィキペディアの「竹内文書」の世界観とは根本的に違う部分を
感じていただければ、幸いです。
竹内家当主は、日本の古代史を、1500年以上にわたり、口伝継承しているとのこと。
信じるか信じないかは別として、竹内家にはそう伝わっているらしいです。
文中にある、武内宿禰(たけうちすくね)とは、竹内家当主が代々引き継ぐ、名前です。
***以下、竹内家当主、竹内睦泰氏による、「正統竹内文書」の説明、特に神代文字についての説明です。原文のまま載せます。***
正直言って、お題の神代文字と宇宙文字だが、宇宙文字って何?
基本的に宇宙空間にいた神々は、テレパシーで語り合っている。ということで、口伝自体はあるのだが、これについては、あとで語ろう。
まず、神代文字について。
正統竹内文書は、かなりの種類の文字を文章化している。
本来は、一子相伝の口伝なので、本人が暗記しなくてはいけないのだが、正直言おう。百種類近くの文字を暗記することはできない。ということで、長老たちには内緒で、歴代の武内宿禰(たけうちのすくね)は、それを筆写し、書いていた。
それが一部から散逸し、膨大な量になったと思われる。
また【カタカムナ】のような、点や線で書く特殊な文字もある。一字であるが、二音や三音を表す、ということもある。しかも、口伝によれば、レオナルド・ダ・ヴィンチのような「鏡文字」のように、逆転したり、ずらしたりして意味を伝える文字もある。普通の象形文字とか、表意文字とは違うのだ。
この存在について、存在するのか否かという論争に私は参加するつもりはない。
ただ、神代文字は正統竹内文書においては、「神字」と書き、それを【カムナ】と読んだ。
それが漢字となり、カタカナとなった。
つまり、中国の漢字以前の文字のことをわが国は、【カナ】と呼んでいた。
本来は日本にあった文字が、シュメール(スメル)に渡り、世界各地に伝播し、そして日本に戻ってくる。その結果、象形文字や表音文字のようなものが、神代文字によく見られる。
スサノオノミコトに従い、朝鮮に渡った息子のイソタケルノミコトは、当時大きく古代より変形した文字を日本にももたらした。しかし、その元になったのは、あくまでも日本の神代文字である。
***日本に移住した百済・高句麗の王の末裔
一部の神代文字がハングル文字に似ているという批判があるが、それは違う。識字率が低かった朝鮮人に、文字を教えてあげようとする日本軍の配慮もあった。ハングルが神代文字ではなく、神代文字がハングルになったのだ。今のハングルを作ったのは朝鮮人と言われているが、少なくとも普及させたのは、日本軍である。
日本は西暦465年に独自の年号、【大化】を作った。このとき、朝鮮半島の国々は、中国の年号をそのまま使用している。
次に701年に、日本は独自の法律『大宝律令』を作った。このとき朝鮮半島の人々は、中国の法律をそのまま採用している。
そして、702年に、わが国は「日本」という国号を定めた。朝鮮の人々は、実は中国にお伺いを立てて名前をつけてもらっていた。
朝鮮半島が真に独立したのは、日本が日清戦争で勝利し、1905年に下関条約を締結し、朝鮮半島を独立させろと、中国(当時・清国)に迫ったからである。つまり、朝鮮民族が、中国から独立できたのは、日本のおかげなのである。
古墳時代、中国や百済・高句麗の王の末裔が日本へ移動してきた。
百済・高句麗は漢字を使用していた。百済王は大阪府枚方市の百済王神社にいる。子孫は枚方市長にまでなっている。
高句麗王は、埼玉県高麗(こま)郡の首長として、高句麗一族を支配した。
無論、高麗(こま)神社がある。
つまり、中国初代皇帝の末裔も、朝鮮の独立国家になったときの末裔も、全部日本にいるのだ。ハングルを日本軍が教えたのは、そこには漢字を使用していた高句麗・百済民族がいなかったからである。
高句麗・百済民族は日本にいたのである。
***神代文字はきりがないほどたくさんある。
話を神代文字に戻そう。
神代文字についてまともに書くと、きりがないくらい多くある。
その中で大きな文字が三つある。
一つは、【アヒル文字】と【アヒルクサ文字】である。
次に【イムベ文字】と【アメヨシネ文字】である。
三つ目として、【豊国(とよくに)文字】が誕生し、後、ひらがな、カタカナが登場する。
『古語拾遺』にある、忌部広成(いんべひろなり)は、口伝を相承している。彼は
『日文伝』の中の「神代象字伝」のなかで、
「斎部・橘両家之口伝極秘成。他見許さず」と記している。
さらに護符を出し、「斎卜部両家の秘符也。其の職を成すといへども、秘事を伝へ難し。これ、面授口決の大事也。能く授け、能く学び、能く慎みて、これを受けよ」と言っている。
また、『斎部家極秘神名』において十字を伝えている。無論、極秘なので記されていない。「ロイ」と書かれているだけである。「ロイ」---つまり、口伝である。
義解(ぎげ)には、「天太玉命神作なり。今なお、忌部宿禰等が伝承する」とある。
しかしその子孫、忌部正道(まさみち)は、神代巻口訣で、「神代の文字は象形なり。応神天皇以降、漢字をもって、それを使用することにした」とある。
実は、広成の子孫である正道は、先祖の広成の神代文字否定説を覆したのだ。
正道は、南朝・後村上天皇の時代の人である。
実際、『日本書紀』の欽明天皇条に、「多に古字あり。」という一句がある。天武朝においては、新しい字を作らせた、となっている。つまり、『日本書紀』の中にも、神代文字の存在を推測できるのである。
そのなかで一番使われていたものが、アヒルクサ文字であろう。古代の神符(護符)の中に書かれていたのは、トップがアヒルクサ文字、次にアヒル文字である。
蝦夷地で使われた文字は、アイノ文字といわれた。また、『秀真伝(ほつまつたえ)』のホツマ文字があるが、正統竹内文書には、少し形を変えて伝わっている。
また、アヒル文字の形態でアワ文字というのも伝わっている。『九鬼(くかみ)文書』では、カスガ文字というものを使っている。これは何種類もある。さらに正統九鬼文書といえる、物部文書には、モノノベ文字が伝わっている。
もう、言い出したらきりがない。
そして途中、神代ではなく中世に作られたような文字もある。南朝文字である。これは、南朝の最高幹部のみが使用し、読解できる文字であった。これは、アヒルクサ文字に似ていた。
このアヒルクサ文字というのは、フィリピンに残る古代文字と、同系であると思われる。ということは、海洋系から日本に戻ってきた、ヤマト族の古字ではないだろうか。
次に、豊国文字は、エジプトの古代の文字にかなり似ている。ということは、時代をずらして移動した民族がいたと思われる。
***神代にはテレパシーによって意思疎通していた。
神代文字については、中世の南朝古字のような創作文字もある。このようなものは、近世にも出回ったのだが、明らかに近代に作られたという文字もある。別に否定するものではない。
岡本天明の『日月神示』の文字である。
こちらは、自動書記である。エマヌエル・スウェーデンボルグ(1688~1772年。スウェーデンの科学者・神秘主義思想家 )の、数字的な表現に似ている。ほかにも、わざと裏面を白紙にし、すかして読め、という部分もある。
つまり、神代文字は、あったのか、なかったのか。というと、私は、存在もしているし、創作されたものもあったと考えている。両方である。
ただ、神代は、現在より語彙が少なく、現在、発音できないような発音をしていた可能性が高いと思う。
では、意思の疎通はどうしたのか。それは、今風の言葉で言えば、テレパシーのようなものであったと思う。変わった話だが、これが正統竹内文書に書かれている、神代文字の内容だ。
そして、もうひとついただいたお題のひとつの宇宙文字であるが、これは、羽目をはずさせていただこう。
つまり、今まで言った通り、テレパシーで話し合っていたので、文字はほとんどなかったはずだ。あくまでも暗号のように、ウルトラマン初期シリーズの「ウルトラサイン」のようなものであろう。
これは現在でも秘密結社ではよく使われる方法であるが、たとえば、中国のある秘密結社では、三つ杯を並べて、イエスかノーかを問う。イエスのときは、真ん中を取り、ノーのときは死ぬことになる。
フリーメーソンでも、お互いに仲間ですよ、という手のサインがある。たとえば、日本の戦国時代の忍者にも、忍者のみに通じる暗号があった。
つまり、文字は形に残るので、危険なのだ。証拠となってしまう。だから、本当に大切なことは、文字にせずに、言葉で伝える。特に、秘密は。それが、秘授口伝である。
以上、竹内家当主、竹内睦泰さんの言葉ですが、
以下は、武内宿禰こと、竹内睦泰さんが語る、「武内宿禰のみが知る超古代・神代文字の歴史」です。
Q:正統竹内家に伝わる神代文字の歴史を教えてください。
---数万年前の段階で、最雲文笹雲文字(さいうんもんささくももじ)があります。
これを変化させたものが、一万年前にできたアメノマガタマ文字です。
そして文字は二つに割れました。
大伴氏系の、ミチツオミ文字と、
中臣氏系のアマツコヤネ文字です。(これがハングルの元)。
アメノマガタマ文字は、忌部氏系のアメノフトタマ文字に呼び名が変わりました。笹雲文字と勾玉文字は、正統竹内文書において、極秘口伝とされており、武内宿禰の称号を持つものしか、継承できません。
正確には、この三種類の文字(ミチツオミ文字、アマツコヤネ文字、アメノマガタマ文字)は、正統竹内文書以外に、大中臣文書にもあったのです。春日文字と呼ばれました。しかし、大中臣家は断絶し、正統竹内家のみに伝わっております。なぜならば、その文字の一つ一つの意味を和歌の古今伝授のように口伝で伝えているのですから、継承者は武内宿禰家のみなのです。
Q:最古の神代文字「最雲文笹雲文字」とはどのような文字でしょうか。数万年前にその文字を使っていたという人たちは、どこにいた人たちですか?
----文字の詳細は語れませんが、バンゲア大陸です。また、テレパシーで会話していました。文字数は88です。
Q:一万年前に笹雲文字を変化させてアメノマガタマ文字を使っていた人たちは、どのような人たちですか。
----使っていたのは、大きく分けると3つあります。大和族、出雲族、ユダヤ族。しかし本来は、この文字は日本の原住民であるサンカの文字です。
Q:縄文は何文字でしょうか。
----縄文は縄文字といいます。読める人には読めます。昔は単語が少なかったので、土器の中身のことが書いてありました。口伝のほうが文字より重要でした。現在と違うのです。