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日本人は、「大和と出雲と秦氏の融合の産物」という、画期的な主張。

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正統・竹内家当主と、秋山真人と、布施泰和さんの話はおもしろいです。
 
以下に、三人が対談した家紋の話を挙げておきますが、
この話のポイントは、
古代日本人の成り立ちについての、画期的な意見ということです。
 
つまり、古代の日本は、大和族、出雲族、秦氏が、和合・融合してできあがった
という意見であることです。
 
奈良にある三輪山・大和三山は、3部族の和合・融合の象徴とのことで、
 
そうなると、大和朝廷の大王の子孫とされる天皇家もまた、三部族の血が脈々と流れているという可能性が高くなります。
 
 
***以下、三つ葉紋と、古代日本の民族について、
正統・竹内家に伝わる言い伝えと、
竹内家当主、および秋山真人さんの共通の見解をしるします。
 
***
 
竹内家当主は、名刺に三つ葉紋を使っている。
(正統・竹内家では「四つ割菊に葉付き菊」を使っているが、
なぜ、三つ葉紋も使うのかは、この記事の最後に記します。)
 
重要なポイントは、
三つ葉紋は、「大和と出雲と秦を表す」。
 
つまり、竹内家の三つ葉紋は、大和族、出雲族、ユダヤの血統を表す。(佐伯好郎の学説と同じく、竹内家の言い伝えでも、秦はユダヤとのこと。)
 
次のポイントは
「大和三山や三輪山は、古代日本を形成した三民族、
すなわち大和族、出雲族、ユダヤの和合の象徴」。
 
竹内家当主が中心となる古神道において、
そこ、すなわち山の辺の道を歩くことが、
「大和神行」(やまとしんぎょう)であるという。
 
 
以下、関連事項として・・。「三つ葉」と関連したことが、対談で語られています。
 
徳川家康は、出自を隠すために、
下鴨神社から神紋をもらった。
それが三つ葉葵。
家康の本名は、世良田二郎三郎元信。
(せらだじろうさぶろうもとのぶ)
 
大本教教組の出口王仁三郎は、
霊界に行った話をよくしていたが、
最初に霊界で向こうの神様から「三つ葉殿」と呼ばれる。
 
王仁三郎によると「竹内巨麿の著した茨城の竹内文書は、
私が神様から聞いたのとは違っている」という。
 
霊能者の八島義郎(1914~2010)が最初に霊的経験をしたとき、
菊の三つ葉紋を見たという。
 
(以上、正統竹内文書の日本史より引用)
 
***最後に、三つ葉紋を使う理由を、竹内家当主の言葉から、
抜き書きしておきます。
 
正統竹内家(歴代・武内宿禰)の家紋である
「四つ割菊に葉付き」も私はもっています。
 
しかし私は南朝小倉宮家でもありますから、
名刺には小倉宮の「三追菊に十六弁菊花紋」を使用しています。
なぜならそれが後南朝の摂政宮という証だからです。
 
 紋章学で重要なことは、表紋と裏紋、そして替紋、女紋があることです。たとえば私が天皇陛下に会うときは「四つ割菊に葉付き菊」はつけません。わたしは普段その紋章の狩衣を着ますが、そのときは着ません。「五七桐」にします。
従三位以上の公卿は、祭事の時大礼服(装束、桐の紋章)を着ますので。
 普通の竹内家の紋は公家が「笹竜胆(ささりんどう)」で、武家は
「剣片喰(けんかたばみ)」です。ですから、現在でも、公家・子爵家の
竹内家の紋章は「笹竜胆」です。
 
 私は公家・武家・神主の歴史を持った家ですから、「笹竜胆」「剣片喰」は替紋です。
プラス正統竹内家(武内宿禰家)の「四つ割菊に葉付き菊」と、南朝小倉宮家「三追菊に十六弁菊花紋」を持っています。
 
つまり、私は5種類の紋章を使い分けているのです。複雑でしょう(笑)。
でも、江戸時代ではふつうですよ。相手の藩主と同じ紋であったら、別の替紋をつけますから。
 
 また、竹内家は十手を持つとき必ず紫の房をつけます。
これは後水尾天皇と霊元天皇も勅令で「竹内流」にのみ、認めました。ですから、江戸町奉行が持つ十手は普通赤い房ですが、竹内流は勅許があるので与力同心でも紫の房をつけます。
 
以上、「正統竹内文書の日本史」より引用しました。
 
 
 
 
 
 

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