わたしが「大きな声で科学だといえば、科学ということになる」
あるいは
「大きな声でそれは科学じゃないと言えば、科学じゃないことになる」
と言ったら。
ほとんどの方に納得していただけないことと、思います。
「科学者は、決まりにしたがって、ちゃんとやっています」とか
「科学は厳密な原則・・エビデンスの提出にしたがうのです」
と、ほとんどの方は、おっしゃられるのではないかと思います。
でもですね・・。
それなりに根拠があって、「大きな声で言えば、
科学だということに/科学ではないことに」なると主張しています。
少しだけ、書いてみますね。
私のコメント>>「そんなのは科学と認めません」と言ってしまえば、科学ではないことになります。
近代科学は特定の種類のエビデンスを必要としていて、そのことが、「世界のすべて」を理解することを妨げている、という・・その点でカント的立場を私はとっているわけですが
さらに、現代社会における近代科学は「お金と権力を使って、大きい声を出せば、科学と認められる」という凄い側面をもっています。
大きい声とは、マスコミのことですね。テレビ/新聞/出版業界で、大きな声を出せば、科学と認められるという側面があります。
近代科学は特定の種類のエビデンスを必要としていて、そのことが、「世界のすべて」を理解することを妨げている、という・・その点でカント的立場を私はとっているわけですが
さらに、現代社会における近代科学は「お金と権力を使って、大きい声を出せば、科学と認められる」という凄い側面をもっています。
大きい声とは、マスコミのことですね。テレビ/新聞/出版業界で、大きな声を出せば、科学と認められるという側面があります。
***ダーウィン系進化論
端的には・・たとえば、ダーウィニズムと呼ばれる種類の進化論ですね。進化論のすべてがダーウィニズムではなく、生物学者の多くは、ダーウィニズムに、実は不快感を示しているようなのですが・・。
「ダーウィニズムの進化論」とは、
「偶然様」というアリガタイ、存在が生物を進化させます、という、
宗教の形になっていて、
これを信じないと、弾劾されるという、20世紀の宗教裁判みたいなシステムにもなっています。
これを信じないと、弾劾されるという、20世紀の宗教裁判みたいなシステムにもなっています。
このどこが「宗教」なのかもう一度確認すると、
「偶然様」は「すべての人にとって可視」ではないし
「偶然様」は「すべての人にとって可視」ではないし
「大きさ・重さを計測できない」のに、
「アリガタイ偶然様を、認めなければならない、信じなければならない、認めなければ、その科学者には研究費は出さないぞ」みたいな
「アリガタイ偶然様を、認めなければならない、信じなければならない、認めなければ、その科学者には研究費は出さないぞ」みたいな
「踏み絵」状態になっていたからです。
ダーウィン式進化論の本質は、「新しい宗教」なんですね。
「偶然様信仰」を広めた一派としては、オーギュスト・コントの弟子たちがあげられるようで、
当時の一流の物理学者、ボーアやハイゼンベルクは、大きな不快感を示していたようです。
当時の一流の物理学者、ボーアやハイゼンベルクは、大きな不快感を示していたようです。
****20世紀の精神分析
「大きな声があれば、科学と認められる」例の二つ目として、20世紀の心理学と精神分析を上げたいと思います。
20世紀の心理学/精神分析の多くは、心の病の人がいた場合、本人以外の「悪者さがし」に乗り出します。
多くの場合、結論は「親か保護者が悪い」となるのであり、精神分析的手法のセラピーによって多くの親子が引き裂かれたと思います。
そして本当は・・「原因」は「すべての人にとって可視」ではないし「大きさも重さも計測できない」から、
近代科学で理解できることではなかったのです。
多くの人は親に恨みをもっていますし、誰か身近な他人を悪者にして、自分は「いいこちゃん」になりたいのは、人間の基本なので
「なんとなく、親が悪そうだ」というのは、多くの人が思い込めるだけだったのですね。
本当は、近代科学的文脈のエビデンスは何もなかったのです。
「心理治療できるのだから正解なのだ」と説明されるでしょうが、
20世紀の心理学/精神分析の多くは、心の病の人がいた場合、本人以外の「悪者さがし」に乗り出します。
多くの場合、結論は「親か保護者が悪い」となるのであり、精神分析的手法のセラピーによって多くの親子が引き裂かれたと思います。
そして本当は・・「原因」は「すべての人にとって可視」ではないし「大きさも重さも計測できない」から、
近代科学で理解できることではなかったのです。
多くの人は親に恨みをもっていますし、誰か身近な他人を悪者にして、自分は「いいこちゃん」になりたいのは、人間の基本なので
「なんとなく、親が悪そうだ」というのは、多くの人が思い込めるだけだったのですね。
本当は、近代科学的文脈のエビデンスは何もなかったのです。
「心理治療できるのだから正解なのだ」と説明されるでしょうが、
このような二次的なエビデンスが許されるのであれば、
ほかの二次的なエビデンスも許されるべきだと私は思うのです。
現実には多くの「科学的エビデンス」とされるものは、
二次的なのですけどね。
ある種の二次性は許され、ある種の二次性は許されない。
そこに、政治的な思惑を
私は読み取るのです。
二次的なのですけどね。
ある種の二次性は許され、ある種の二次性は許されない。
そこに、政治的な思惑を
私は読み取るのです。
****ヒッグス粒子
「大きな声さえ出せば、科学と認められる」例として
三つ目にあげたいのは、最近出た「ヒッグス粒子の発見」騒動です。
テレビと新聞で大騒動。
そのわりには・・「ヒッグス粒子の発見の根拠」は、あきれるほどチープなものでした。
根拠を聴いた人の多くは、あいた口がふさがらなかったはずですが・・
。
チープさが話題にならなかった理由が、よくわかりませんでした。
新聞/テレビの権威に、相変わらず、人びとは弱いのでしょう。
ヒッグス粒子の発見の根拠・・例のCERNの、巨費がかかった、バカでかいシステムによって粒子をぶつけるわけですが・・
たまに「衝突後のY字軌道」が、いつもよりたくさん発生することがある。その理由を「ヒッグス粒子の存在」にこじつけてしまおう、ということでした。
あきれた人はアチコチにいらして、
ヤフーブログでは、「水がめ座さん」があきれていらっしゃいました。
三つ目にあげたいのは、最近出た「ヒッグス粒子の発見」騒動です。
テレビと新聞で大騒動。
そのわりには・・「ヒッグス粒子の発見の根拠」は、あきれるほどチープなものでした。
根拠を聴いた人の多くは、あいた口がふさがらなかったはずですが・・
。
チープさが話題にならなかった理由が、よくわかりませんでした。
新聞/テレビの権威に、相変わらず、人びとは弱いのでしょう。
ヒッグス粒子の発見の根拠・・例のCERNの、巨費がかかった、バカでかいシステムによって粒子をぶつけるわけですが・・
たまに「衝突後のY字軌道」が、いつもよりたくさん発生することがある。その理由を「ヒッグス粒子の存在」にこじつけてしまおう、ということでした。
あきれた人はアチコチにいらして、
ヤフーブログでは、「水がめ座さん」があきれていらっしゃいました。
さらに深夜のテレビで、日本人物理学者が、
「ヒッグス粒子の発見というのは、ゴマカシであって、
あれはヒッグス場の発見です」と言っていましたが
要するにその場合の「ヒッグス場」とは「空間のどこかに、重力を生み出すものがある」ということなわけで、
そんなことは誰もが常識で思っているわけで、発見でもなんでもないのです。
ちなみに、ヒッグス粒子発見の話題は、さらに、複雑になりました・・。
その後、本物の科学的発見があって、そちらも「ヒッグス粒子」と呼ばれているらしいのです。
最初のヒッグス粒子発見話は「重力をもたらす素粒子が存在する」という嘘で、
要するにその場合の「ヒッグス場」とは「空間のどこかに、重力を生み出すものがある」ということなわけで、
そんなことは誰もが常識で思っているわけで、発見でもなんでもないのです。
ちなみに、ヒッグス粒子発見の話題は、さらに、複雑になりました・・。
その後、本物の科学的発見があって、そちらも「ヒッグス粒子」と呼ばれているらしいのです。
最初のヒッグス粒子発見話は「重力をもたらす素粒子が存在する」という嘘で、